三十三観音像
三十三観音像

寺下観音/terashita kannon

奥州南部糠部三十三カ所観音巡礼 一番札所

観音様

称名:南無大慈大悲観世音菩薩なむだいじだいひかんぜおんぼさつ
聖観世音真言:オン アロリキャ ソワカー

「ほとけ」さまは観世音のことであって、一般に観音様と呼ばれています。
「般若心経」の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若(修行の結果得られた「さとり」の智慧)の象徴となっています。
観世音は、死後の世界に於いて「しあわせ」を授けてくださるだけでなく、生きている現在の世界(現世)にいて、人間に「しあわせ」を授けてくださる(現世利益)有難い「ほとけ」さまです。
しかも、その功徳くどくは、お願いすれば「すぐ」に現れるという速効性をもつために、古くから多くの人々に信仰されています。

観世音というのは、世の人々がいろいろな災難や苦悩を受けて救いを求め、一心に観世音の御名を唱える(一心称名)とき、その音(音声おんじょう)をて、直ちに助けてくださる(即日皆徳解脱)「ほとけ」さまなので、この名がつけられたのだそうです。
普通、音は耳で聴くものですが、観世音はこの音と観ずるのです。

「観ずる」というのは、よくよく「観察する」という意味で、救いを求める音声が、本当に真剣なものかどうか、単なる口先だけのものであるのかよくよく観察して、本当に真剣なものであれば、直ちに救いの手をさしのべて下さるというのです。

そのために、自分のお願いが、いかに真剣なものであるかを観世音によく見て戴くために、古くからいろいろな観音信仰の方法が考えられてきました。
七度詣、三十三度詣、百度まいりなどのほか、観音欲日よくびと称して、各月毎に特定日を定め(寺下観音は毎月17日)、その日に観音詣りをすれば、多くの巧徳を得られるというものなどありますが、その中で最も観音巧徳の多いもの、霊験あらたかな信仰方法として三十三観音霊場巡礼にまさるものはないといわれてきました。

三十三カ所観音巡礼

巡礼とは宗教的な目的(誓願成就せいがんじょうじゅ霊験れいげん恩寵おんちょうの祈願・贖罪しょくざい)をもって霊場をめぐることです。
三十三という数は観世音菩薩が三十三の姿に化身して人々を苦しみや悩みから救うという三十三身普門示現ふもんじげんからおこったといわれます。

現在の和歌山県、大阪府、奈良県、京都府、滋賀県、兵庫県そして岐阜県に点在する観音信仰の霊場「西国三十三カ所」は、徳道とくどう上人しょうにんが開祖といわれています。
徳道上人(686年~735年)は八世紀はじめ(奈良時代)のひとであり、言い伝えによれば、上人は病のため亡くなって冥土めいどへ行ったところ、閻魔えんま大王から「日本には三十三の観音霊場があり、これを巡礼すれば罪は清められ、苦しみや悩みから救われるが、まだ誰もこの霊場を知らないから帰ってひろめるように」といわれ、三十三の宝印を授けられて蘇生そせいしたしたといわれています。

奥州南部糠部三十三カ所観音霊場

糠部三十三カ所観音巡礼は、寛保三年(1743年)に八戸天聖寺八世・則誉守西そくよしゅさい上人によって定められました。
これは現在の青森県八戸市、階上町、南部町、三戸町、田子町、岩手県二戸市、一戸町、軽米町に点在しています。

何かの機会に巡礼してみてはいかがでしょうか。
寺下観音は、この糠部三十三観音霊場の一番札所となっています。

西国三十三観音像

寺下観音境内には西国三十三カ所巡礼の観音様がまつられており、ここでお参りすれば、西国三十三カ所巡礼のご利益を受けられるといわれています。

寺下観音例祭日

2024年5月19日(日)
(毎年5月第3日曜日)

寺下遺跡(縄文晩期)

寺下遺跡から出土した鹿角製腰飾り鹿角製腰飾り

貝塚の中から、10歳ぐらいの子供の人骨が発見され、そこから出土しました。
同じ形の骨角器の出土は県内に例が無く、人骨の腰のあたりから出土したことから、腰飾りであると考えられています。

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