御祭神
経津主命
斎主神、伊波比主神とも。出雲風土記では布都怒志命とされます。
日本書紀によれば、伊弉諾尊が軻遇突智を斬った際に、剣から滴る血が固まって岩群となり、それが経津主神の祖となったとされています。
経津主神は、天照大御神の命を受け、武甕槌神とともに、出雲の大国主命と国譲りの御交渉の結果、その国土を円満に皇孫に捧げ奉らしめ、さらに国内の荒振る神々を平定して日本建国の基礎を築いた神とされています。
経津主命
斎主神、伊波比主神とも。出雲風土記では布都怒志命とされます。
日本書紀によれば、伊弉諾尊が軻遇突智を斬った際に、剣から滴る血が固まって岩群となり、それが経津主神の祖となったとされています。
経津主神は、天照大御神の命を受け、武甕槌神とともに、出雲の大国主命と国譲りの御交渉の結果、その国土を円満に皇孫に捧げ奉らしめ、さらに国内の荒振る神々を平定して日本建国の基礎を築いた神とされています。
2024年5月19日(日)
(毎年5月第3日曜日)
明治4年(村社)
人皇45代・聖武天皇の神亀2年(725年)、行基大僧正(668年~749年)が寺下の地に海潮山応特寺を創建し、観音菩薩を祀ったことに始まります。
社記によると、その後、文治2年(1186年)に経津主命を観音堂に併せて祀ったとあり、以来、神仏混淆の聖地として八戸藩はもとより、盛岡城主代々にも崇信されました。
明治に入り、神仏習合を禁じた神仏分離令により、観世音と分けて祀られました。
社名は海潮山鷹物寺の山号にちなみ、潮山神社と命名されました。
現在の社殿は、寛永3年(1626年)に創建された旧観音堂となっています。
書籍「全国神社味詣 幸せをよぶ参道グルメガイド」(神社新報社 松本滋 著/丸善出版)にて、潮山神社と茶屋・東門が紹介されています。